建築に携わる経緯と建築家の役割

■ 建築家をめざしたのは…
なぜ、建築に携わる職業に就くことになったのか?

昭和30年代、街頭テレビの頃の時代…家業は電気工事業。住まいと仕事場が同じ屋根の下にある環境で、店に幾つもある工事の部品棚をジャングルジムのように遊び、職人さん達に接して育った記憶があります。今思えばその頃から自然と職人の世界に慣れ親しんでいたのだと思います。

やがて、将来の職業の選択に関わる進路を決める時、土木(ダム・橋梁等)の建設分野に興味が湧き、土木技師を目指しました。しかし、学びはじめると土木のスケールの大きさに戸惑いを覚えました。考えた結果、漠然としていた興味が明確になり、学校を半年で辞したのち、滋賀県立短期大学建築科に入学して建築の入門編を学びました。

卒業の年はオイルショックという不況の最中でしたが、幸いにも金沢の武藤建築士事務所に勤務することができました。ここでの3年半は主に官庁関係の設計に携わり、建築の基礎を学ばせていただきました。

次第に、もっと自由な発想(=デザイン性の高い建築)の設計がしたいという思いが強くなった時期に、アーキ・アーバン建築研究所に出会いました。ここでの15年間は本当に建築を考える場であったと思います。設計者側から見る建築の取り組む方法と姿勢、建築とそれに関わることの厳しさと喜びを学んだと思います。

そして、1997年に拙宅の建て替えを機に辞職し、翌年3月に一級建築士事務所を開設し現在に至っています。独立後の沢山の人との出逢いから、さらに建築の世界が広がっていきました。それと同時に建築の奥深さとやるべきことを知る機会を頂きました。人に助けられながら、気負うことなく生きていくこと。建築を真面目にすること。そして、建築をする者の責任を自覚する意味で「建築家」を自称し、「建築家」を目指しています。

■ 建築家の役割(仕事)
□ 『建築家の役割』とは何か?
どの分野においても物を創る時(0→0.1)には物凄いエネルギーが必要です。建築の場合、施主・経済・敷地・建築家等、それぞれの個性により様々な計画(設計の手法)が在り、様々な完成建築物が存在します。

そしてその計画を実行(建設)する時、すなわち計画の意図を施工者に伝え実現化する時には、さらなるエネルギーが必要です。そこで、われわれ建築家は施主と施工者のあいだに立ち、計画/設計/監理の専門の能力[機能・経済及び形態(デザイン)を研究・調整・創造する]をもって、目的の建築物を完成し施主に引き渡すことが我々の仕事だと考えています。

□ 私の学んだ建築観
W.W.コーディルは、その著書の中で「建築というものは、人間が造った環境から発散する雰囲気のことであり、それを体験する個人に情緒的反応を起こさせ、肉体的・心理的欲求を満たし、単なる雨露をしのぐ構築物以上のものであり、人間の発展の程度を反映するもの」であると述べています(※1)。建築家は自分の自己表現のためにデザインしているのでなく、施主や現在・未来のユーザー、近隣に住む人、働く人々、通り掛かりに見る人々のために、建築としての雰囲気を創り出そうとしています。

また、建築は「機能・経済・形態の統合によって創り出される空間的・形態的秩序に関係」(※2)するものでもあります。

□ 機能は、行為;物理的であります。
□ 形態は、状態;目に入る外見に関係して、敷地、課題、流行、空間などが、どうであるかで形作られます。
□ 経済は、投資対効果;最小限の投資で最大限の効果を得られるものです。

機能は形態の妥当性を示すものであり、
形態は機能を反映し、
経済は機能と形態を共に律する三位一体であります (※3)

これらには、さらに時間という要素を重ねて考えなければならない(※4) 、とコーディルは述べています。なぜなら今日在る役割を果たすように考えられている建築形態も、明日には違った役割を果たさなければならないかもしれないからです。

■地域での活動
建築は、敷地のなかでのみデザインされるものではありません。周辺の環境、すなわち風土を読み取って、そこにあるべき姿が考えられる必要があります。

以前は、デザインのよい建築を創ってさえいれば、それぞれの建築家が競って建てた物が集まって町を形成すれば、よい町並ができあがると錯覚していました。それが独りよがりで周りに迷惑となりかねない考え方であると気付いたのは、ある時期に石川県建築士会のまちづくり委員会で活動することになり、評判のよい他県の町の見学や、全国まちづくり会議への参加などで多くの人に出会い、彼らの考えを知ることができたからです。

こうした機会に恵まれたおかげで、自身の建築観が変化、成長したように思います。まちは建築家や都市計画家が創っているのではなく、そこに住んでいる意識をもった市民・町民が創っているのだと。すると、自分が住んでいるまちの問題点、ハードだけでなくソフト、つまり人の気持ち知り、それを大切にしなければいけない、という基本に戻っていきました。この建築観の変化が自身の住む地域のボランティア活動をする事に繋がりました。振り返って思うに、この地域での活動が有形無形で自身の成長に役に立っていると考えています。

いま、私の住んでいる新竪町小学校区は、全国どこの町とも同じように少子高齢社会です。また、社会状況の複雑化や、芳しくない経済の状況が続いています。以前、私が仲間と活動していた「新竪町子どもの育つまちづくりを考える会」愛称「おんぼら~っと塾」(※5)は、子どもたちが元気で健やかに育つように、まちづくりを考え活動する会でした。こうした活動を行うのは、親として、地域の大人として、地域に住む子どもたちの健やかな成長を願い活動する事で、地域の人達から愛情や温情を受けられる環境に育った彼らがいずれ大人になったときに、次の世代の子どもや地域の人たちのために活動できる大人となって成長している姿が期待できるからです。そうなる事が生き生きとしたまちづくりの基本になると考えています。そんな魅力のある町は人が住み続け、人も増えて活気が戻ってくると信じています。

■建築物の性能について
私の建築設計に対する基本スタンスは、すでに建築家・吉田桂二氏が述べられているとおりです。

「人間は家の中に篭ったままで一生を送るわけではないし、自然の摂理に従って生きているのですから、家が閉じた箱であると言う前提は環境保全を人間の健康性とつないで考えた時、まったく矛盾する事になります。

したがって、環境保全と結ぶ家の考え方の前提は、家は外部環境に開放されたものでなければならないが、外部環境が人間の生存にとって不都合な状態になった場合は、時として閉鎖されるもの、と言うことではないでしょうか。」(※6)

つまり、敷地の周辺環境の特性を知り、住宅であれば住まう家族の思いがきちんと図られ、自然な陽射しや風を五感で感じて住まうことが、家にも家族にも優しくあると思います。そのために、木材、仕上げ材そして家全体が呼吸できることが重要であり、適材適所で建築的に工夫する事が大切であると考えます。

■オープンシステムとの出会い
とあるベーカリーショップの改修工事を某建設会社が一括請負で受注し、工事が始まりました。短期間で完成させ開店日に間に合わせるため、深夜作業も続く建築現場。その現場を見ながら、従来の重点監理(※7)では設計の意図が忠実に工事されない危機感を感じていました。結局私は毎日のように深夜まで現場に付きっ切りで監理を行い、最終的に満足のいく完成に至りました。

これまでに幾度か、建設会社の現場担当員(監督)の設計意図の理解不足により専門工事業者(職人)にまで設計の意図が伝わっておらず、手直し工事が行われるということがありました。ついには専門工事業者に設計の意図を直接説明し協議することの方が、スムーズに工事が行われると感じるようになりました。

そんな時に設計事務所仲間に紹介されたのが『オープンシステム』(※8)です。検討してみたところ、設計者自身が工事をコントロールする、いわゆるコンストラクションマネージメント(CM)手法を用いていること、そして共通の理念と高い志を持つ集団であることを知り、参加を決意しました。

住宅会社の監督が単なる工事の段取り屋に等しい現状や、多重下請け構造から来る弊害などの問題の解消、また単なる分離分割発注の工事では得られないオープンシステムの補償といった利点など、常に進化していく建築士事務所の集団、オープンシステムネットワーク会員がこれからの建築業界を担っていくと確信しています。


注釈
※1 W.W.コーディル(六鹿正治訳『チームによる建築―建築に成功する121の方法』(鹿島出版会、1987年) 36ページ
※2 同上72ページ
※3 同上74.75ページ
※4 同上 77ページ
※5 子ども達の成長とともに役割を終え現在は会としての活動をしていませんが、個々人が地域の大人として子ども達を見守っています。
※6 吉田桂二編著『暮らしから描く「環境共生住宅」のつくり方』(彰国社、2002年)14ページ
※7 1週間に定例の打合せ日を決めて監理する方法
※8 オープンシステム:現在の「イエヒト」